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2009.07.16 児雷也 奉納
        
 

     
     
  
   


  
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博多祇園山笠

2009年7月9日  お汐井とり(西流)


2009年7月11日 朝山(西流)


2009年7月12日 追い山ならし(東流)


2009年7月13日 集団山見せ(西流)


2009年7月15日 追い山(東流 櫛田入り)


2009年7月15日 追い山(西流山崩し)



一部では、祭=『festival』的な報道が多いのですが、山笠は、『festival』ではありません。山笠は、神事=『Shinto ritual』です。
昨日、2009年7月15日、山笠を奉納させていただきました。

10日、14日の流舁きの動画を見つけることができませんでした。(我が西流の15日の山崩しは必見、ほぼ坊主になった私も舁き山に這い上がっています。)

以下Wikipediaより


博多祇園山笠の起源については諸説あるが、鎌倉時代の1241年(仁治2年)に博多で疫病が流行した際、承天寺の開祖であり当時の住職である聖一国師(円爾)が町民に担がれた木製の施餓鬼棚に乗り、水を撒きながら町を清めてまわり疫病退散を祈祷したことを発祥とするのが通説である。安土桃山時代、島津氏と豊臣氏の戦いにより博多の街は焼け野原となったが、豊臣秀吉が帰国の際、博多の街をいくつかの区画毎に「流」(ながれ)としてグループ化し復興を行った(太閤町割)。この「流」が博多祇園山笠のグループ単位の発祥である。戦後の一時期、13流に増えたこともあったが、現在の「流」は、恵比須流・大黒流・土居流・東流・西流・中洲流・千代流の七流である(福神流は過去の不祥事が原因で不参加)。

かつては京都の祇園祭のように、町ごとに飾り山の華美を競いながら練り歩いていたが、江戸時代の1687年(貞享4年)に土居流が東長寺で休憩中、石堂流(現在の恵比須流)に追い越される「事件」が起こる。このとき二つの流が抜きつ抜かれつのマッチレースを繰り広げ、町人に受けたことから、担いで駆け回るスピードを競い合う「追い山」が始まった。以来戦後の一時期を除き、祭のクライマックスとしてこの「追い山」が執り行われ、福岡市内のみならず近隣各地から多くの観衆を集めている。

戦後に入り、1955年(昭和30年)に「博多祇園山笠振興会」が発足、当時より「博多部外」の新天町等でも飾り山行事が行われ、1962年(昭和37年)より「博多部外」である福岡市中心部に舁入れる集団山見せなどが行われるようになった。1970年(昭和45年)から子供(小学生)が小型の山笠を舁く「子供山笠」も始まった。

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